再度多磨全生園へ

2026年03月28日

多磨全生園。
2月に多摩住民自治研究所の企画で行ったばかりですが、桜の咲くころにもう一度行きたいなぁと思っていたらなんと生活クラブ生協の「大人の学校」での企画があると知り、いそいそと参加してきました。
期待通り、桜がとても奇麗でした。

2月に伺った時に案内してくださったのは元小学校の先生で、あらゆる場面でハンセン病の方々がいかに権利をはく奪されて生きて来たか、生きざるを得なかったかという点に重きを置いて話をしてくださいました。
今日案内してくださった学芸員さんは、入所者のみなさんとよく話し込んでいらっしゃるようで、入所者のみなさんのくらしについて丁寧にお話をしてくださいました。
例えば山吹舎という成人男性用のお部屋には、12畳に8人が暮らしていて、それが4部屋あったこと。結婚して以前は同居することができず、男性の既婚者は女性の部屋に夜だけ通い婚をしていたこと。
なので、山吹舎の男性は夜の人数が減りゆったりと眠れたこと。
一方で女性の同様の部屋は男性が通ってくるので夜の人口密度が高くなり、狭くて大変だったこと。
車の運転が大好きな入所者の方がいたこと。
園内にあった小中学校「全生学園」の子どもは子どもの数に入れられてなくて、教科書がもらえなかったこと。
ハンセン病の特徴は知覚障害なので、足の裏に釘が刺さっても気付かず、歩いた後が血まみれになっているのを見て初めて気づくようなことも多々あったこと。
全生園の入所者は医療費は無料だけど介護保険の対象外なので、電動ベッドなどのレンタルはできず、自費で購入する人もいること等、とても具体的で興味深いお話でした。

「多摩全生園」ではなく「多磨全生園」であることや、1909年に公立療養所として誕生した全生園は「ぜんせいいん」、1941年に国立ハンセン療養所に移管されてからは「ぜんしょうえん」、読み方が違うことなども初めて知りました。
それはそれで、とても興味深いお話でした。

一方で人権の視点でのお話はどちらかと言うと弱い印象で、全生園全体が一つの社会になっていて、みんながそれぞれにいろんな役割を果たしていてとても豊かだったように聞こえてしまいました。
前回訪問した時、看護学校の2年生の時に研修旅行で御殿場のハンセン療養所に行き、友だちと「案外良い所だ」と話し合った愚かな私の話を書きましたが、案内してくれる人がどういう視点で話してくれるかによって、感じ方が相当変わるんだなぁということに今回気が付きました。

敢えて差別の象徴、多磨全生園には火事があっても消防すら駆けつけてはもらえず、独自の消防団を組織するしかなかったことや、映画館に娯楽に行くこともできなかったので療養所内で上映会が開催されていたこと、療養所と一般社会とを隔絶していた高さ2mのコンクリートの壁や、高さ3mのヒイラギの垣根などの写真を撮りました。
そうそう、岩崎小百合議員と一緒に参加しました。岩崎さんは「大人の学校」の理事を務めているそうです。 

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