小学校の同級生はなんと9人でしたΣ(・ω・ノ)ノ!
昨年12月議会では旭小学校・三輪野江小学校をそれぞれ関小学校・栄小学校に再編するという方向性が示されました。
吉川市は今年市制30周年を迎えますが、その前身の吉川町ができたのは1955年でした。吉川町・旭村・三輪野江村が合併して、吉川町となったのでした。
旭地域・三輪野江地域は伝統ある、豊かな自然もたくさん残されている大切な地域です。
旭小学校は明治6年に郁文学校としてスタートし、明治25年に旭小学校として開校。三輪野江小学校は明治6年に時習学校として開設され、明治22年に三輪野江尋常小学校として開校。どちらも伝統のある小学校です。
三輪野江小学校は校歌を何と土井晩翠さんが作詞しています。
どちらの学校も児童数が減少傾向で、旭小学校の現在の児童数は1月31日現在で101名。今年の1年生は9人だということが、以前から話題になっていました。
三輪野江小学校は児童数179名で旭小よりは多いのですが、各学年1クラスという状況とのことです。
まずは旭小学校と関小学校の統合を令和10年に実施し、その後タイミングをみて三輪野江小学校と栄小学校を統合するという方向です。
来年度の予算には旭小・関小統合のための学区審議会の予算が盛り込まれました。
通学範囲が広がるので、どの地域が徒歩通学が可能でどの地域はスクールバスが必要かなどを審議するそうです。
私は今日のこども教育常任委員会の予算審議で、いろいろと質問しました。
私自身の話になりますが、私も小学校の同級生は9人でした。
全校生徒数は私が1年生の時で54人、卒業時には36人でした。
私たちは入学した時から複式学級で、1年生と2年生、3年生と4年生、5年生と6年生が同じ教室で勉強しました。
9人しかいなかったのでテストの成績も通知表も、運動会の徒競走も、お習字も硬筆も音楽も、1番から9番まではっきりと順番が決まっていましたし、それが誰の目にも明らかに見えました。
私は短距離が苦手で運動会の徒競走も体力測定の50メートル走も誰よりも遅かったので、小学校6年間ずっと、自分は運動神経が悪いのだと思って過ごしました。中学高校、そして社会人になって短距離は苦手だけど長距離は得意だとか、ジャンプ力や瞬発力はないけど球技は案外苦手じゃないとかいう自分を知りコンプレックスが解消されましたが、わずか9人しかいない世界の中ではひたすらコンプレックスを抱くしかありませんでした。
9人しかいなかったので、とにかくみんなで仲が良かったこともはっきりと覚えています。
みんなで1年生の時に考え出したゲームを小学校6年間ずーーーっとやっていたし、とにかくみんなでいつも一緒に遊んでいました。
中学校に入った時、私たち9人は結束力が強いと他の小学校から来た人たちに言われ続けていました。
昨年の夏久しぶりに同級会に参加したのですが、その時ですら私たちは結束力が強いと言われました。
でもみんながみんな仲が良かったわけではないし、今思い出しても胸の痛む話も事実としてありました。
私は小学校の再編の話が出るたびに「少人数のよさもある」と思ったり、「9人ではかわいそうだ」というような声を聞くたびに少しだけ複雑な気持ちが胸を過ります。
再編に賛成とか反対とか、そういう話ではありません。再編の話は、みんなが納得できる形になるのが一番良いだろうと思います。
今日の委員会で率直に聞いてみました。
小規模校の1年生2年生と食事をしながらざっくばらんに話をしたところ、大勢でやってみたいこととしてドッヂボールやサッカー、リレー。クラス替えにも興味があるとの声があったとのこと。
教職員からは「子どもたちの集団が固定化されてしまう」「喧嘩をすると逃げ場がなくなる」「持久走をやると毎年順番が同じ」とのご意見があったとのこと。
教育委員会では「子どもたちを中心に考えて子どもたちに最善の策を提供すべき」とのご意見があったとのこと。
どのお話も自分自身の経験に照らして、おかしな程共感してしまいました。
私が卒業した小学校は1980年代には既に廃校になっています。
5年前にその小学校跡地に行ってみたのですが、そこが学校だったという石碑が建っていて、あとは私が小学校1年生になった時に完成した体育館だけが今も残されていました。
そこに遊びに来ていた小さなお子さんがその場を「がっこう」と呼んでいて、何十年経っても地元の人にとってそこは学校なんだと、小さな感動を覚えたことを今も覚えています。
写真はその時に撮ったものです。
