2017年にNHK ETV特集『告白~満蒙開拓団の女たち』という番組を観て、敗戦時の旧満州でソ連兵に差し出され性被害を受けた女性たちの存在を初めて知り、衝撃を受けました。
しかも性暴力はその時だけでは終わらず、引き上げ後もその女性たちが様々な言葉の暴力、二次被害に遭った事実も衝撃でした。
しかもその村は私の出身地にもほど近く、そんな身近なところでこんな苦しみがあった事実を全く知らずに生きてきた自分自身にも衝撃を受けました。

『マリヤの賛歌―石の叫び』公演では、アフタートークゲストに参議院議員を4期24年に亘って務め、繰り返し「慰安婦」問題を取り上げて活躍された吉川春子さんをお迎えしました。
吉川さんは今も「慰安婦」問題とジェンダー平等ゼミナールを主宰し、「慰安婦」問題、そして戦時性暴力やジェンダーの問題に取り組み続けています。
「慰安婦」問題とジェンダー平等ゼミナールには、私も参加させていただいています。

長男を出産した後、私は二人目不妊に本当に悩みました。
たとえ二人目といえども、自分が「不妊」に悩むなどと想像したこともなかったので、あのころは心が家さぐれまくっていました。
妊娠してもすぐに流産することも繰り返していて、医師から「黄体機能の低下」を指摘されました。
妊娠はできるけどそれを継続する力がない、妊娠を継続させるのに必要な「黄体ホルモン(プロゲステロン)」が不十分なので流産してしまうのだろう。次に妊娠に気付いたら、その瞬間に受診しなさい、黄体機能を補う薬を処方するからと言われました。
次男の妊娠に気付いた5週と二日めくらいに大急ぎで病院に行き、漢方薬を処方してもらい、次男は無事に生まれることができました。

「あんな奴ら」

2025年06月27日

昨年12月議会で「中原市長に猛省を求める決議」を挙げる前、私たち11名の議員は中原市長への抗議文を提出しました。そしてその際市長への面会を求めましたが、市長は私たちには会いませんでした。
抗議文を受けとった副市長から市長は議員のみなさんにお話しする用意はあると言われましたが、「危険人物」と名指しされた私たちや抗議文に名前を連ねた議員と直接会って話をするという姿勢はありませんでした。
なので文書で回答してくださいとお願いし、その解答すらなかったことが「猛省を求める決議」へと繋がったわけです。
6月議会、A議員の質問はあの時なぜ会わなかったのか、ちゃんと会って話をしていればそれ以降のゴタゴタはなかったのではないか、というような趣旨だったと私には受け取れました。

アンパンマン

2025年06月23日

もうずいぶん前の話になってしまいましたが、長男が学生時代の6年間を過ごしたのが仙台でした。
二人でアパート探しに行ったこと、引っ越しの荷物を我が家の乗用車一台で運んだこと、大学生活で必要なものは全て大学生協と100均で買い揃え、シャンプーやコンディショナーまで旦那くんが100均で十分だと言って買ってしまって、年頃の長男がとっても不満そうな顔をしていたこと等色々と懐かしく思い出しました。
仙台の何よりの記憶は、なんといっても東日本大震災でした。
地震の後、津波の模様をテレビで観ながら、長男と連絡がつかないので不安で不安でたまらなかったこと。
「生きている」という連絡を受けたときの安堵感。市場が再開した時にナスとじゃがいもとリンゴを買って、当時飼っていたウサギと二人で分け合って食べていたこと。
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ちょっと遠かったけど、志の輔落語を聞きに気仙沼に行ってきました。
「おかえり気仙沼2025」と銘打つ、志の輔さんの独演会。
東日本大震災の翌年からずっと、地元のみなさんのご尽力で気仙沼を励まし活気づけるために取り組まれてきた企画のようです。