越谷吉川線に押しボタン式信号と横断歩道の設置を
お知らせするのが遅くなりましたが、6月議会には「越谷吉川線栄町1327番地先に信号機を求める会」(代表:小林今朝文さん)が、「押しボタン式信号と横断歩道の設置を求める請願」を提出し、全会一致で採択されました。
お知らせするのが遅くなりましたが、6月議会には「越谷吉川線栄町1327番地先に信号機を求める会」(代表:小林今朝文さん)が、「押しボタン式信号と横断歩道の設置を求める請願」を提出し、全会一致で採択されました。
埼玉県は1972年から1992年までの20年間、畑やわら革新県政続きました。
自治体要請キャラバンがスタートしたのは畑県政が終わった1993年で、今年なんと30回目を迎えました。毎年この時期に県内63自治体すべてを回り、職員さんと社会保障について懇談・要請をしています。
少し前の話になってしまいましたが、五差路会のオンライン講演会『滝山病院問題を考える』第三弾に参加しました。
将来はシェアハウスの運営をしたいと密かに思う私です。
プライベートな空間はとても大切だけど、一歩部屋を出てリビングに行けば顔なじみの誰かがいて気軽におしゃべりを楽しめるとか、一人で食べたいときはひとりで食べれば良いけど、一緒にご飯を食べる顔なじみも同じ屋根の下に何人もいるとか・・・。
そんな暮らしができたら良いなぁと思うのです。
訪問看護やケアマネの仕事も長年してきたので、そこに住む誰かが病気をしたり介護が必要な状態になってもサポートできるんじゃないかなぁと思ったり。
もしそこに住む誰かががんになって、住み慣れた自宅で最期まで暮らしたいと望んだとしたら、それも多分サポートできるんじゃないかなぁと思ったり。
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もともと咳だけの喘息があるのですが、久しぶりにひどい咳に苦しみました夜も眠れないし、会話もできず、パソコンに向かって仕事をするような気力もわかず、仕方がないのでひたすら本を読んでいました。
岐阜の田舎に行ったとき、少し足を延ばして訪れたのは満蒙開拓平和記念館でした。
記念館がある長野県阿智村は、私の田舎からは恵那山トンネルを挟んで目と鼻の先で、車で1時間とかからないところに平和記念館がありました。
6月議会が終わると急な用事で岐阜の田舎に帰らなくてはならなかったり、なんだかバタバタと過ごしているうちに、すっかり体調を崩してしまいましたΣ(・ω・ノ)ノ!
元々気管支が弱く、埃っぽかったり空気が乾燥していたり、後は低気圧の影響なんかで咳が出やすい体質なのですが、久しぶりにひどい咳発作になってしまいましたΣ(・ω・ノ)ノ!人と話をするのも大変だし、夜も眠れないしΣ(・ω・ノ)ノ!
受診してステロイド吸入薬と気管支拡張テープ剤を処方してもらって、何とか落ち着いてきたみたいです。
もうずいぶん前の話になってしまいましたが看護学校を卒業して、その学校が付属していた病院にそのまま就職して社会人1年生になった時、私が配属されたのは精神科病棟でした。
就職するときに私は卒業したての看護師らしく、救命救急センターや循環器センター・呼吸器センターなどを希望し、第7希望に精神科と記載したのですが、配属されたのはその第7希望の精神科病棟でした。同じ看護学校を卒業した同級生、5人が一緒に配属されました。
今考えるとそれは、とてもラッキーな社会人生活のスタートでした。
もう15年以上前の話になってしまいましたが、民家改修型、一日の利用者8人というとても小さなデイサービスの管理者兼ケアマネをしていた時期がありました。医療依存度の高い若い要介護者や、認知症の周辺症状が強い方、当時の一般のデイサービスではなかなか受け入れてもらえないような方々を主な対象者とするデイサービスでした。
とても小さなデイサービスなので経営が非常に厳しかったこと、法人全体としてもその当時の経営状況が厳しかったこと、それでもそのデイサービスを「協働経営したい」と言ってくれる方が現れて、いろいろと検討した結果、法人としてはその方に事業譲渡するという選択をしたことで、私がその事業にかかわったのは数年だけでした。
それでもその数年間はとても楽しく、貴重な経験の毎日でした。
1週間前に春日部市民文化会館で開催された、埼玉母親大会。記念講演、東京農工大学教授の高田秀重さんの『プラスチック汚染と私たちの暮らし』の概要をお伝えします。