つい先日、95歳のお誕生日を迎えたばかりの義母。
お祝いのお寿司をほぼ一人前平らげ、7歳の孫クンが「95歳にしては元気だ」と言うほどでした。
が、それから1週間も経たないうちに急変。
6日に緊急入院、8日に息を引き取りました。
2年半前のお正月、「父親も大みそかに亡くなったから、自分も大みそかに死ぬんだなぁと思った」と本人が口にするほど、それまでの元気がウソのように体調を崩しました。
2年前のお誕生日は、「多分これが最期のお誕生日」と言ってみんなで集まりました。
以後、介護保険でデイサービスや訪問看護を利用しつつ、入退院も繰り返しつつ、低空安定状態を維持してきました。
昨年も今年もお誕生日を迎えることができました。
かなり具合は悪くなっているけれど、まだ頑張れるかなぁと思っていました。
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かねてから海外で働きたいと言っていた次男君が夢を叶え、海外に転勤することになりました。

6月議会が終わったかと思ったらすぐにコロナに感染してしまい、その後も咳がなかなかおさまらず、報告がすっかり遅くなってしまいました。
6月議会の一般質問で私が取り組んだのは、「住宅確保要配慮者」の住宅問題でした。
昨年の12月議会でもこの問題に取り組み、私は市営住宅の必要性を訴えました。
しかし市の答弁はこの問題を国も十分認識しているので、「国の動きを含めて注視していく」というものでした。
この間住宅の問題に取り組む中で思うことがたくさんあり、改めて6月議会で取り組んだのでした。

珈琲の色

2024年07月03日

社会人2年目くらいまで、私は珈琲にはお砂糖を2杯くらい入れて、それからミルクもたっぷり入れて飲んでいました。
今思うと砂糖汁かミルク汁に珈琲の色が軽く付いていたくらいの飲み方だった気がします。

2年半前のお正月、義母は体調を崩しました。
「父親も大みそかに亡くなったから、自分も大みそかにこの世を去るんだなぁと思った」と言うほど、本当に苦しかったのだと思います。
そして以後、要介護状態になりました。
その時は介護保険を申請しても、結果が出るまで命がもたないのではないかと思っていました。
少し落ち着いて、みんなでお正月の顔合わせをすることになった時も、私たちは「多分これが最期のお正月だと思う」「春は迎えられないと思うと言って、息子たちにも出席を促しました。

訃報

2024年06月26日

昨日夕方、古い友人からしんぶん赤旗訃報欄を確認するようにとの唐突なLINE。
慌てて確認をすると、そこにはこれまた古い、とても大切な友人の名前が載っていて衝撃を受けました。

14日に6月議会が終わり、ホッとする間もほとんどないうちに体調を崩し、気付いたらコロナに感染していました💦
変なはなしですが。
15年前に新型インフルエンザが流行した時、私もきっちりと感染しました。
あの時は身体じゅう全ての細胞が反応して、異物を徹底的に追い出そうとしているのを自分でもはっきりと感じました。
気付いた瞬間もう40度を超える高熱で、体中が辛くて辛くて身の置き所がないというか、そんな感じでした。

朝ドラはずっと前から録画して観ていて、時間短縮のため主題歌は早送りをします。
大好きな桑田佳祐さんが主題歌を歌った『ひよっこ』の時さえも、私は時間短縮を優先していました。
歌はYouTubeとか、聴くチャンスはいくらでもあると思っていました。