「自己責任論」について学びました

2021年05月16日

日本共産党吉川市議員団は毎週金曜日、学習会をしています。一冊の本をそれぞれに事前に読んで会議に参加し、内容を確認したり、意見交換したりするのです。
先週から読み始めた本は『「自己責任論」をのりこえる 連帯と「社会的責任の哲学』(吉崎祥司著 学習の友社)です。
前回読んだ『ものの見方たんけん隊』が割と読みやすい本だったので、今回も同じ学習の友社の本なら読みやすいんだろうなぁと何気なく考え、題名だけを見て「面白そう」だと思い、この本に決めました。
正直、失敗でした💦💦
とても難しい本でした💦
前日の予習をしながら、こんな難しい本を選んだことを正直悔やみました💦

でも、難しいけど面白い=興味深い本です。
1980年代に「自己決定」という意識が広がりました。医療現場ではインフォームド・コンセントという考え方が広がりました。医師による十分な説明を受けたうえで、患者自身も納得して治療方法を自ら「自己決定」していくというような考え方です。
しかし「自己決定」はその結果としての「自己責任」を予想させ、支配層は「自己決定=自己責任」という図式を強調しながら「自己責任論」の流布を図ったと著者は書いています。

「努力すれば報われる」という言葉が盛んに宣伝された時期がありました。著者は世紀の変わり目のころだと書いています。私は正直、あまりそういう記憶がありません。
どちらかと言うと、昔から日本にあった考え方のような気がしてしまいます。
が、この言葉は一方で努力しなかった者・努力が不足した者が報われなくてもそれは自己責任として、やはり「自己責任論」につながる考え方だと書いています。

「自己責任論」があからさまに言われるようになったのは、2004年のイラク人質事件からであり、その年の流行語大賞トップテンに「自己責任」が選定されました。
確かにイラク人質事件の時、人質になった方々はマスコミからも激しいバッシングを受けました。危険な地域に勝手に行ったのだから、人質になってもその結果殺されたとしても自己責任だというような風潮が確かにありました。
現地で平和活動を続け、現地の方々から篤い信頼を得ていた方が激しくバッシングを受ける様子に、胸を痛めた記憶はまだまだ新しいです。

こうして「自己責任論」が広がり、失業や不安定雇用、貧困などを「個人の問題」にしてしまい、その責任を当事者の個人的な努力や能力の不足によるものと強弁し、本人にもそう思いこませてしまい、抗議を封じ込めるのが「自己責任論」だと著者は主張しています。

「自己責任論」の機能とは、
①競争を当然のこととし、
②競争での敗北を自己責任として受容させ(自らの貧困や不遇を納得させ)、
③社会的な問題の責任のすべてを個人に押し付け(苦境に立たされた“お前が悪い”)
④しかもそうした押し付けには理由がある(不当なものではない)と人々に思い込ませることによって、
⑤抗議の意思と行動を封殺する(黙らせる)。

イギリスの1834年「改正救貧法」は援助の必要な困窮者について、「貧困は当人の怠惰などの人格的・道徳的欠陥に由来するもので、本人の責任であるとみなし、援助は個人的自由や参政権など市民権の剥奪と引き換えだとされていたそうです。
しかし19世紀末にはこうした考え方は否定され、「貧困、とりわけ失業や景気変動に基づく大量の貧困は、「社会の責任」によるもの以外ではない」という考え方に切り替えられ、今でも健全だということです。

確かにその通りだと思います。
社会の仕組み=新自由主義が広がる中で、財界の求めによって、労働者を安く働かせるために労働者派遣法をつくり、非正規雇用を広げてきたはずです。
非正規雇用の人ほど今回のコロナでも大きな影響を受け、苦境に立たされていると言われています。
そして生活が圧迫されている状況が「自己責任」であるはずがない。
「社会的責任」という認識を、もっと広げていかなくてはいけないと学びました。