くるみざわしんさん作『私、精神科医編』

2022年12月17日

障害者理解啓発グループおおた~ツタエルチカラ~主催、演劇鑑賞会『私、精神科医編』&くるみざわしんさんトークイベントに参加させていただきました。
『私、精神科医編』は文字通り精神科医くるみざわさんを多角的な視点で描き出したというか、ある意味丸裸にしちゃったような作品で、ここまで自分をさらけ出すのというのは本当に大変な作業だと思いました。
個人的にウケたのは、「精神科医の家庭不和」というセリフです。
実は私のパートナー君も精神科医なので、この一言はポン!と胸に入ってきて、しばらく笑いが止まりませんでした💦

私も社会人1年生で働いた職場が精神科病棟です。
当時はそれが仕事だと思って当たり前のようにしていたことがたくさんありますが、今思うとなんという人権侵害に加担していたのだろうと思うことがいくつもあります。
例えば、入院患者さんのたばこは1日何本までと決められていて、夜勤の看護師が患者さんが要望した明日の分のたばこを準備するのですが、就職した時から決まっていたことだったので当たり前だと思っていました。
でも今考えると、その本数って一体何の根拠があったのか。
制限しなければならない理由が何だったのか、わかりません。
なのに、患者さんがその本数では足りなくて要求してくると、20歳そこそこの私は偉そうに、「またですか?」とか言っていました💦
あんなに偉そうに言っていた私は、いったいどこに根拠を持って発言していたのだろうと、今頃になって恥ずかしく思うのです💦
80代のすうさんは、その時点でも10数年、ずっと閉鎖保護室に入院していました。
私が就職するよりずっと以前、自宅で何らかの精神症状を呈し、大変だった時は確かに会ったようでした。
でも私が就職したころには目立った症状もなかったのに、とにかく当たり前のように何の彩もない閉鎖保護室に鍵をかけられ、そこでただ生かされていました。
それをおかしいとさえ思えなかった当時の自分を、やはり今頃になって恥ずかしいと思うのです💦

今日の舞台の中で、70代の患者さんがもう50年もそこで入院し続けていて、もうそこが自分の家と同じようなもので、どんなに進めてもグループホームに移ろうとしない。春になると、お母さんがつくってくれたイカナゴのくぎ煮が食べたくなり、お母さんの味とは全然違うのに最寄りのスーパーに買いに行き、最寄りの公園で立ったまま口にかき込むといった下りがありました。私が働いていた精神科病棟はどちらかというと若い人がたくさん入院していて、統合失調症の発症初期の方や摂食障害の方などがたくさん入院している病棟でした。
が、一方では10年以上入院生活が続いている人もたくさんいらっしゃいました。
当時10年以上入院していた方々が今も入院しているとしたら、多分入院生活は50年にも及び、もはや親もなく、バラバラになったきょうだいは面会に来ることもなく・・・。

当時の患者さんたちの顔が、リアルに浮かんできました💦
あの時のみなさん、今どうしていらっしゃるのか・・・・。

もう一つ、舞台の中で患者さんと卓球をする場面がありました。
医師として患者さんを観察し、治療する立場にいるのに、実は患者さんからも観察されていて、患者さんなりの治療者側を理解していて、時として患者さんに癒される、溶け合っていく・・・。
そういうことって、実は精神科だけではないと思うけど、医療の現場では案外とあることだと思います。
患者さんに受け止められ、理解されて、自分が「何」なのかがわかっていくというか。
それを象徴するような「卓球」という場面。
実は私が働いていた精神科病棟のホールにも真ん中に卓球台を置いていて、よく患者さんと卓球をしたものでした。
そして卓球をしながら自分自身が癒された経験、私もたくさんありました💖

舞台も面白かったのですが、今回は企画そのものが非常に魅力的なものでした。
トークイベントでは司会進行を勤めたのが、精神疾患の当事者。
そして地域で活動する精神科勤務経験のある看護師と家族会の方もお話をしてくださいました。
大田区内34団体が後援、22団体が協賛。
医師会、家族会、作業所、当事者団体など、この活動を支える団体の豊富さにも感動します。
「言いたいことをなかなか言えない」というような話題の時だったと思いますが、くるみざわさんの「今、不服に思うことこそが核。それを核にして新たな世界をつくっていくんだ」。若干違うかもしれませんが、そんな言葉がとても深く心に残りました。
ツタエルチカラのみなさん、ありがとうございました(⋈◍>◡<◍)。✧♡