文化芸術、映画が心の糧(⋈◍>◡<◍)。✧♡

2021年10月04日

岐阜の母を吉川に連れてくる日が近づきつつあり、何となく落ち着かない日々を過ごしています。
施設との契約や、入所中の岐阜の施設との連絡調整、姉との連絡や、そのほかの様々な手続きに何となく気持ちが落ち着かない・・・、そんな毎日です。
そんな中でストレスが募ると映画館に走る・・・(@ ̄□ ̄@;)!!
この数日は、そんな風にストレスを発散しています💦

最初に見に行ったのは『MINAMATA』でした。
水俣病を世界に知らしめた写真家、ユージン・スミスとその活動を支えたアイリーン、そして水俣のたたかいを描いた作品です。

若いころから写真を愛し、40代初めには「ポピュラー・フォトグラファー」誌より世界の十大写真家の一人に選ばれるほどの優れた能力を持った人、ユージン・スミス。
しかし一方では、沖縄戦の撮影時に大けがを負ったり、想像に過ぎませんが仕事にのめり込む中でいつしか家族も失い、お酒に溺れ、自暴自棄な生活に陥っていった人でもありました。
しかしアイリーンとの出会い、来日して、水俣で再び素晴らしい写真を撮りました。
映画の中に映し出された「入浴する智子と母」という写真は、本当に美しい写真でした。そして美しいだけではなく、水俣病の現実、介護する家族の現実をしっかりと映し出しているように思いました。
窒素が設置する病院に侵入して、入院患者さんと接触して撮影したり、会社への抗議行動に一緒に参加したり、当事者の中に身を置いたからこそ、こういう写真が撮れたのだと感じました。

エンドロールには、世界中で起きた「人為的な事件」が流されました。
ウクライナ「チェルノブイリ原発事故」、世界各国「サリドマイド薬害」、日本「福島第一原発事故」など、計22もの世界中の人為的事故が流れましたが、これでもごく一部に過ぎず、もっともっといろんなことが起きているのだと思います。
企業の儲けの一方で環境が破壊され、被害を受けた人間が苦しむ・・・。とても悲しい構図だと思います。

次に観たのは『キネマの神様』でした。
昨年コロナで亡くなられた志村けんさんが主役を務めるはずだったところ、急遽沢田研二さんが演じることになり、話題になりました。
沢田研二さん、若いころ大好きでした。お洒落でセクシーで、その歌はとても魅力的でした。
そんな沢田研二さんが演じたのは、有り余るほど豊かな才能を持ちながらも、それをうまく発揮できず酒やギャンブルに溺れた「なれの果て」のような、もがきながらも一人ではどうすることもできない高齢者の姿でした。若いころに描いた脚本を読んだ孫が、どうしようもない姿の祖父が持つ素晴らしい才能に気が付き、祖父と一緒にその脚本をデータ化しながら、現代風にアレンジし、脚本家の金字塔のような賞に応募し、見事な結果を納める・・・。
困ったさんの主人公を支える「淑子ちゃん」。
淑子ちゃんはきっと、困りものの主人公を支えることで苦しまなくても、もっと楽に生きる道があったのだと思います。それでも主人公と言いることを選びました・・・。

映画を観ながら、昔読んだ哲学者の真下真一さんの言葉を思い出しました。
「愛は愛を持つ者にとって一つの溶鉱炉であり、人はそこで溶かされて形を変えずにはいない。そこでどのように溶かされ形を変えるかは、誰をどのように愛するかによって変わる。従って、誰をどのように愛するかという問題は、どのような自己を彼があるいは彼女が選択するかを意味しているのである」という言葉です。
今読むと、ごくごく普通の当たり前のことが書いてあるように思いますが、学生時代にこの文章に出会ったときはよく意味が分からず、ずっと考え続けてきた言葉です。
困ったさんの主人公を支え続けることが、淑子ちゃんにとっての生きる歓びだったのかなぁ。
淑子ちゃんは、そういう自分の人生を生ききったんだなぁと、そんな風に感じました。

とってもあたたかい映画でした。
映画は人の心を温かくする、耕す、そして生きる力になる・・・。
そういうものだと思います。