「健康で文化的な最低限度の生活保障」こそ最優先に!

2021年04月01日

今日のしんぶん赤旗の社会面に掲載された記事です。

扶養照会は人権侵害、心からそう思います。
私に相談してくださった方は、その時の手持ちはわずか数千円でした。
食事は一日一食。
非常に痩せこけていて、相談が後一歩遅れていたら、それこそ命に関わる状況だったと思っています。
それって、消極的な自殺行為をギリギリのところで断念して救けを求めた、そんな感じじゃないでしょうか。
その方が恐れたのは扶養照会です。
高齢で年金生活の親に、心配をかけたくない。
ギリギリの生活で子育てしている兄弟に、心配をかけたくない。
人として、あまりにも当たり前な思いだと思います。
今だけ、ほんの一時生活保護を受給することで羽を休め、力を蓄えてもう一度はばたきたい・・・。
そんな気持ち、支えることはできないのでしょうか。

もし、保護を受けることを諦めてしまったら・・・?
もし、生きることすら諦めてしまったら・・・?

今年1月の参議院予算委員会での日本共産党書記局長 小池晃氏の質問に対し、厚労省の田村大臣は「扶養照会は義務ではない」と答弁しました。
そして厚労省は2月26日、扶養照会についての通知を出しました。
でもその内容は、本当に非情なものだったと思います。
「扶養義務履行が期待できない者」=扶養照会しなくても良いケースの規定を、こんな風にしたのです。
① 扶養義務者が社会福祉施設入所者・長期入院患者、専業主婦・主夫等、未成年者、 概ね 70 歳以上の高齢者など
 ② 当該扶養義務者に借金を重ねている、当該扶養義務者と相続 をめぐり対立している等の事情がある、縁が切られているなどの著しい 関係不良の場合等。また、 10 年程度音信不通であるなど交流が断絶していると判断される場合 。
 ③ 当該扶養義務者に対し扶養を求めることにより明らかに要保護者の自 立を阻害することになると認められる者(夫の暴力から逃れてきた母子、 虐待等の経緯がある者等)

扶養照会は義務ではないけれど、それは「扶養義務の履行が期待できない」と判断される場合のみ紹介しないのであって、上記条件に該当しなければやはり扶養照会は行うということ。
市が行っているのは国の法定受託事務であり、市は国の指針通りに事務手続きを行わなければならないと定められていること。
そして扶養照会は必ず本人の了解のもとに行うけれど、本人に拒否権はない・・・。
そして更に、生活保護の手続き上扶養照会は必要な事務で、扶養照会を拒否したかどうかは保護決定には関係ない・・・。
そしてもう一度、それでも扶養照会は義務ではない・・・!!

これって、ほぼ意味不明ではないでしょうか。
意味が分かる方がいらっしゃったら、ぜひ教えてほしいです。
私の国語力ではとても理解できません。

ただわかることは、上記3つの条件に当てはまらない限り、生活保護を申請すれば必ず扶養照会は義務ではないけれども実施されるということ。
扶養照会を拒むなら、保護そのものを諦めるしかないということだと思います。
保護を諦めて路上生活。
保護を諦めて、生きることも諦めて、自殺・・・!!
そうしたことの呼び水になっているのが、扶養照会ではないでしょうか。

手持ち数千円の相談者の方も扶養照会を恐れ、気持ちが一時も休まらず、夜も眠れない生活を送っています。
こうした不安な日々の中で、もし何か一つ間違えたら、その人は自殺してしまう可能性が非常に高いのではないかと感じています。
困窮した人を制度が救うのではなく、さらに追い詰めるようなことがあってはなりません。
ましてや自殺に追い込むようなことがあってはなりません。
「健康で文化的な最低限度の生活の保障」。
このことを何よりも真ん中に据えて、困窮している人を一人たりとも見逃さない。
そういう行政であっていただきたいと、心から思います。

そして国は、扶養照会の在り方を大きく見直すべきだと思います。