「憲法9条をなぜ変えてはいけないか」学習会

2026年07月14日

少し前の話になりますが、7月5日(日)、松伏緑の丘公園で憲法学習会が開催されました。平野千穂町議に誘われ、出席しました。
講師は公立・私立中学校で38年間社会科の教員をしてきた小堀俊夫さんでした。
簡単にご紹介します。

小堀さんは中学3年生に、憲法9条にノーベル平和賞を与えることに賛成か否かを聞いてみました。
中学3年生というのは頭の中はもう大人とほぼ変わりません。ただ大人よりも頭の中のゴミが少なく、しっかりとした意見を持っていて関心させられることがあります。
質問の結果は下の表の通りで、賛成意見は少なかったそうです。

これは2004年の冬に行った授業で、ちょうど小泉純一郎首相が自衛隊をイラクに派遣すると発表した時でした。
子どもだから、中学生だから喜ぶかと思ったら意外だったそうです。
お話を聞いて、日本の政治が憲法9条に沿ったものではないということが中学生にもちゃんとわかるんだなぁと私も驚きました。

小堀さんは20年ほど前、沖縄の読谷村を訪ねました。
沖縄戦でアメリカが最初に上陸したのが読谷村で、村にあるチビチリガマは多くの村民の集団自決の地となりました。
その村役場の玄関には憲法9条が飾られ、村長室には憲法9条と共に憲法99条が掲げられていました。
村長の山口さんは沖縄戦の体験者です。高校生の時にアメリカの統治下の沖縄で日本国憲法を知り、とても驚き、喜んだそうです。
そういう沖縄の人たちの気持ちからすると、日本国憲法はとても大事です。

アジア太平洋戦争での日本の犠牲者は310万人。戦闘員が 230万人、一般市民が 80万人。中国で1,000万人以上、インドネシア400万人、フィリピン111万人。アジアの犠牲者を合計すると2,000万人を超えます。
マレーシアのライさんは6歳の頃の体験を語っています。

村人は日本兵に一列に正座させられました。
ライさんのお母さんは生後6か月の弟を抱いていました。日本兵はその赤ちゃんをお母さんから奪い、放り投げ、落ちてきたところを銃剣で串刺しにしました。
そして正座しているマレーシア人を背後から銃剣で刺していきました。
こんなことが繰り返され、2,000万人という犠牲者が積み上げられていきました。

東南アジアや中国の人々は、日本に対しどんな感情を抱いているでしょう。
シンガポールの戦争博物館の出口には、B29が広島に原爆を落とした時の写真を展示しています。「原爆によって私たちは解放された」と、東南アジアの人々は言っています。
先の戦争を通じて、膨大な犠牲者と取り返しのつかない爪痕を残した。
その爪痕について、私たちはもう二度と繰り返しませんと言わなければ国際社会に復帰させてはもらえませんでした。
日本国憲法は9条を大きく変えてしまえば、日本の国際的な位置取りは大きく変わるだろうということは素人が考えても想像がつきます。
日本は戦後80年一度も戦争をせず、一人の戦死者も出さず、外国を軍事的に侵略することも一度もありませんでした。
これを続けることがアジアの人々、世界に対する我々の仕事ではないでしょうか。
戦後80年間先輩たちが守ってきた「護憲」という灯を、バトンタッチして我々が受け継いでいくことこそ私たちの果たすべき役割ではないでしょうか。

Share