『ワクチン開発と戦争犯罪 インドネシア破傷風事件の真相』

2026年05月19日

確か先日ご紹介した本、『戦争と看護婦』の中に「インドネシアの破傷風事件」というような言葉が出てきて、この本が紹介されていたと記憶しています。
『ワクチン開発と戦争犯罪 インドネシア破傷風事件の真相』(倉沢愛子・松村高夫著、岩波書店)。

法定伝染病のひとつで、私が子育てしているころはジフテリアや百日咳と共に「3種混合ワクチン」として接種していた破傷風ワクチン。今は4種又は5種混合で、この3種+ポリオ、Hibだそうです。
この破傷風ワクチンが日本の侵略戦争の中で研究され、インドネシアのロームシャ(当時日本軍によってほぼ強制的に徴発された人々)に人体実験までしていたこと。そしてその事実が露見しそうになると、インドネシアで活躍していた医師らを逮捕して濡れ衣を着せ、殺してしまったという事実。
そうして開発されたもので、今私たちは破傷風の発症を免れているという事実。
なんだか、とても複雑な気持ちです。
勿論、戦争によって進んだ医学はそれだけにとどまりませんが😅

アジア諸国を侵略した日本は、軍事施設や軍需産業などに従事させるため、ジャワ各地から労働力を徴発し、「ロームシャ」と呼んで活用しました。
その労働条件は過酷で死者を多数出し、終戦時には現地に取り残されたため故郷にも帰れず、タイ・ビルマ・ベトナムなどの国々にその後も住みつくことを余儀なくされた人も多かった。「ロームシャ問題」として語られるのは主としてジャワ島外へ派遣された人々で、その数は30万人ほどだったと推測される。
島外に送られるロームシャたちは、乗船前にチフス・コレラ・赤痢の3種混合ワクチンの接種が義務付けられていた。
一つの収容所で、この3種混合ワクチン接種直後に伝染性のない破傷風感染者が大量発生(119人が発病、98人が死亡)。軍と南方軍防疫給水部が動き出し、「謀略の疑いが非常に濃厚」と決めつけた。
実は他にも破傷風を発症した人はいて、死者数は1,000人に上るが島外に向けて出発した後に発症しているため「流行性膿髄膜炎」として処理された。
そして、医学界最大の大物であるエイクマン研究所所長兼医科大学教授モホタル氏がスケープゴートにされ、殺害された。モホタル氏を犯人に仕立て上げ、日本側の望む証言を引き出すため、逮捕された関係者にはひどい拷問が加えられた。

この事件は南方軍防疫給水部の神勢が多く送り込まれていたパスツール研究所で密かに行われていた、破傷風ワクチン製造の治験過程で露呈した人体実験の失敗で、それを覆い隠すためにインドネシアの医療従事者に罪をかぶせたものであるという仮定に立っている。
当時現実に日本軍内では破傷風ワクチンの開発が急ピッチで進められており、しかもインドネシアにおいてその実験を中心的に担っていたのは、関東軍防疫給水部(731部隊)の流れを汲む南方軍防疫給水部の医師たちであった。
言うまでもなく、731部隊は満州で「マルタ」と称して平気で中国人を実験台に使っていたことで知られている。
中国におけるそのような日本軍の人権意識の欠如を考えれば、インドネシアにおいても当然そのようなことがあったと推定してもおかしくない。
しかもスケープゴートとして狙われた医師たちはいずれもオランダの高度な教育を受けていて(日本が侵略する前、インドネシアはオランダの植民地だった)、一般的に反日感情が強いと思われていたこと。より上級の免許を取るためにオランダに留学した医師たちは、戦前オランダ人待遇を受けていて、日本にとっては鼻持ちならない存在であったことなどが考えられる。
破傷風事件で逮捕されたものの中には、オランダ留学組が非常に多い。
戦場においては負傷した傷口から破傷風菌が入り発症することが多く、進軍する兵士たちは破傷風を極度に恐れていた。
第二次大戦中、米軍は全兵士に破傷風ワクチンの予防接種をする「能動免疫」を実施していたので、破傷風患者の発生は10万人につきわずか0・5人以下だった。これに対し日本軍は、破傷風になったら結成を打つ「受動免疫」を原則にしていたため、破傷風患者は10万人につき5,000人近くだった。
こうした事情の中で破傷風ワクチンの開発が急がれ、破傷風菌を不活化させることに四苦八苦した日本の研究者たち、しかも731部隊の流れをくみ、731部隊から重鎮が派遣される南方軍防疫給水舞台の研究者たちがロームシャたちを人体実験に使ったとしても何ら不思議はない・・・。

非常に読後感のよろしくない一冊でした。
でも、ちゃんと知らなくちゃいけない一冊だとも思います。

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