国立ハンセン療養所栗生楽泉園重監房資料館
2月、3月に続けて2回多磨全生園のハンセン病資料館を訪問し、草津の国立ハンセン療養所栗生楽泉園には「重監房」という懲罰施設があったことを知りました。
文字通り「監獄」の同様の施設で、ハンセン病を患う方々の療養施設になぜ懲罰房が必要なのか意味不明です。それもとてつもなく劣悪な施設であったとのこと。
そして「洗濯場事件」。
多磨全生園の洗濯場で働いていた療養者に与えられた長靴は、穴が開いていたりしてボロボロだったとのこと。洗濯場の汚れた水が長靴の中に入り込み、病気のため末梢神経の感覚がマヒしている患者さんたちの足は蝕まれ、切断という事態をも招いていたとのこと。新しい長靴の支給を求め、そこで働く仲間と共に支給されるまでは仕事をボイコットすると言った主任は草津の重監房に送られ、そこで亡くなったという事実もそこで知りました。
栗生楽泉園を訪ねてみたい、「重監房」についてもっと知りたいと思いました。
そんな気持ちを平和市民クラブの岩﨑さゆり議員に呟いたところ、一緒に行きましょうとどんどん話が進み、行ってきました!
栗生楽泉園重監房資料館。
館内には重監房の一部が実寸大で再現されていました。
高さ4.5mの壁に囲まれ、4畳半程度の部屋に粗末な布団が一組。監房の片隅にトイレが設置され、脱走に使われないように浅く掘られたものだったようです。
食事と水を提供するために小さな窓口。壁の高い所に、ガラスも嵌められていない小さな窓。
冬はマイナス20度にもなるという草津で、重監房の温度は外と変わらなかったとのこと。
食事も水分も非常に粗末で、職員たちは「まだ死なない」と、まるで死ぬのを待っていたようです。
重監房は1938(昭和13)年に建てられ、1947(昭和22)年まで9年間使われていたそうです。その間のべ93人がここに収監され、23人が亡くなりました。
入れられた方は決して犯罪者ではなく(犯罪者であったとしてもこの扱いあり得ないと思いますが)、洗濯場事件の主任で、ただ新しい長靴の支給を求め、洗濯にあたる療養者たちの足の切断などという事態を防ごうとしただけの人であったり、身重の妻に重労働の田植えをさせるわけにはいかないと思って脱走を試みたりしただけの人だったりでした。
その方々は裁判にかけられることもなく、医師などの判断だけでここに収監されました。
このひどい、医療の現場で行われた圧倒的にひどい人権侵害の歴史をちゃんと学び、胸に刻みたいと思います。
草津に行くにあたって、私はクマスプレーとクマ鈴、防災用のホイッスルを用意しました。
特に重監房跡地を見に行く時は職員の方からクマの出没情報がチラホラあると教えていただいたので、鈴をリンリン鳴らしながら歩きました。
跡地について写真を撮ろうとしていると、少し離れたところで一本だけ木が不自然にゆさゆさと揺れているのを発見し、きっとクマがいるに違いないと思い、ふたりで大急ぎで車に戻りました。
緊張しました。

