平塚らいてうとハンセン病・優性思想

2026年06月10日

今、この本を読んでいます。
『「いのち」の近代史 「民族浄化」の名のもとに迫害されたハンセン病患者』(藤野豊著 かもがわ出版)。

685ページもある分厚い本なので、まだ全然読みかけです。
2001年5月初版、同年7月に第2刷が出されています。私がこの本を買ったのは、多分その頃だったと思います。ちょうどその頃も、ハンセン病の本を次から次へと読んでいた記憶があります。
この本を買ったものの持ち歩くには重過ぎて、ずっと気になりながらも読まないままに今に至りました。今はどこにでも持ち歩いて、時間があるときに読んでいます。

日本ではハンセン病は遺伝によるものという認識が強く、ノルウェーで病原菌が発見されても日本では感染症と認めることに異論があった。
しかし1897年に第一回万国らい会議が開催されハンセン病が感染症であると確認されると、「感染症であるならば隔離するべき」という認識が台頭。日本では遺伝病という偏見を残したまま、恐ろしい遺伝病というイメージが重ねられていったとのこと。
それが異常なまでの隔離政策へと繋がり、またハンセン病の根絶が「民族浄化」という強いナショナリズムと繋がり、更に優性思想とも繋がり、ハンセン病患者の結婚は認めるけれど断種をして子どもを産めないようにするという政策も強化されていったという非常に詳しい説明を読み、ハンセン病差別とは何だったのかということが深く理解できた気がします。

優生学の対象は本来遺伝病患者だったのに次第に拡大解釈されるようになっていき、性病患者や性犯罪異常者、日本では結核やハンセン病患者までが含まれていった。
そして、少しでも社会問題に取り組む人々にも浸透していったとのこと。

この問題に関する平塚らいてうの発言にとても驚きました。
「アルコール中毒者であったり、てんかん病者であったり、癩病や梅毒患者であったり、はなはだしきは精神病者でありながら、子孫を残しています。これらに対し国家も個人の自由に放任し、なんらの制限を加えることもしないのが我が国の現状であります。わたくしたちは生殖の営みが人類の成長に、国家・社会の発展に実に重大な意義をもつことであることを悟り、子供をもっと尊重し、その数の多きよりも質の良さを願い、普通人としての生活をするだけの能力のないような子供を産むことは、人類に対し、社会に対し、大きな罪悪であることを知らねばなりません(「避妊の可否を論ず」『日本評論』1917年9月号)」。

平塚らいてうは新婦人協会の一員として、1920年に「花柳病男子結婚制限法」制定を議会に請願し、その理由は女性の健康を守るということだけでなく、優生学の立場をあげていたとのこと。女性の人権のために奮闘していた平塚らいてうにとってもハンセン病は性病患者と同様に結婚近視や断種の対象とされていた。

という一文にとても驚いたのです。
当時、ハンセン病患者の隔離に反対した医師もいたし、ハンセン病患者の人権を考えた医師もいた中で、らいてうが少数意見の側に立たず、踏みにじる側の発言をしていたことにとても驚いたのです。

ただ丁度この部分を読んだその日に、青年劇場の『Sの顛末』を観ました。

1911年、平塚らいてうによって創刊された『青踏』。その5年間の軌跡をひとりの女性の視点で描いた作品です。

その中で、『青踏』の出版を伊藤野枝に譲った後出産したらいてうは「子どもは国が責任をもって育てるべき」というような主張をするようになり、それが容易に、安易に優性思想と結びついていったということが描かれていて、なんだかすごく合点がいったというか、納得ができた気がしました。
らいてうがどういう人であったのかも、もっとちゃんと知りたくなりました。

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