小中学校の当直の先生のビックリな話

2026年07月24日

何度も書いていますが、私が卒業した小学校は卒業時の全校生徒数が36人と、本当に小さな学校でした。そして本当に山奥の学校でした。

昔はどこでもそうだったのかもしれませんが、小学校にも中学校にも毎日当直の先生がいました。
5~6年生の時の担任は、当直のたびに学校の近くに住む生徒の家に上がり込み、お酒を飲んだくれるのでとても有名でした。
生徒の家で飲酒だなんて、今なら到底許されないような話だと思いますが、良く言えば当時はまだ社会が寛容だった気がします。
先生は早い時間から酔っぱらって、遊んでいる私たちに絡んで来たり、翌日もお酒の匂いをプンプンさせたりしていたので、私は正直好きではありませんでした。
この本を読んでいたら、不意にそんなことを強烈に思い出しました。『吉川市史 通史編2』(吉川市)。

そんなに隅々まで一文字残さずに読んでいるわけではなく、知りたいと思った部分を所々読んでいるだけなのですが、読んでいて「そうだったのか!!」と初めて知ったことがありました。

明治22年2月11日に大日本帝国憲法が公布され、23年11月29日から施行。更に翌年23年10月30日に教育勅語が発布され、その翌日には文部大臣から北海道庁・府県に対して「詔勅奉承に関する訓令」が発されました。そこには「教育勅語謄本を全国の学校に頒布するので、教職に当たる者は常に聖意を奉体して研磨薫陶の務めを怠らぬよう」指示されていたとのこと。それによって学校の儀式が一変し、

  • 祝日だけでなく、大祭日にも学校儀式の施行が求められた
  • その儀式には御真影(天皇・皇后の公式肖像写真)への敬礼が定められた
  • 御真影と教育勅語を安全に報護することが、学校管理者・教職員にとって最重要亊となった
  • 埼玉県では明治29年に御真影と教育勅語の奉置と非常時の守護について細かく定め、以後学校には守護を目的として当直が置かれることになった

なるほど(@ ̄□ ̄@;)!!
学校に当直の先生がいたのは、御真影・教育勅語を守るための戦前の仕組みの名残だったのか(@ ̄□ ̄@;)!!
そんなことがわかって、面白かったです。
戦前・戦中のよろしくない習慣が、まだまだ私たちのくらしの中に当たり前な顔をして存在しているのだと思いました。
当直は人件費もかかってしまうのでいつの間にか見直されてやめたのだと思いますが。
入学式や卒業式の最初に「一同起立・礼」というのが必ずあり、何に対して礼をするのだろうとずっと思っていましたが、もしかしたらこれも戦前の教育の名残かもしれませんね。
よく調べてみたいと思います。

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