旭小学校の歴史
吉川市では、2028年度を目途に旭小学校と関小学校を統合する方向で今検討が進められています。地元ではもっと慎重に検討してほしいとして、有志のみなさんが署名活動を始められています。
2017年に発行された「吉川市史 通史編2」、2022年10月に市教育委員会生涯学習課文化財保護担当が開催した『小学校創立150年 小学校のはじまりと校歌』を基に、旭小学校の歴史を辿ってみました。
「学制」の公布
1872年(明治5)8月、日本初の近代的学校制度を定めた「学制」が公布されました。これによって身分・性別に関係なく、全ての子どもたちを就学させることになりました。しかし「学制」では小学校に係る費用は地域が負担し、生徒からは授業料を徴収することとされたため、実際の小学校の創設・運営は地域によって様々でした。
吉川では吉川小学校・旭小学校・三輪野江小学校が1873年(明治6)~1876年(明治9)に、それぞれ寺院などの敷地内に開設されました。
郁文学校
旭地区では1873年(明治6)に郁文学校と川藤学校が、それぞれ東福寺(八子新田)と東泉寺(川藤)に開設されました。郁文学校の校名は勝海舟の命名であるとされ、「郁文学校」の書は 勝海舟が親しい間柄であった中村武敬氏を訪れたときに揮毫したものとされています。
郁文学校は中村氏が私財を投じてつくった学校で、敷地の中には宿舎もあったそうです。今も東福寺付近に「郁文学校」の碑が残されています。
1884年(明治17)には川藤学校は郁文学校の分校となり、上内川の普賢院にも分校が開設されました。
明治25年(1892)10月25日、南広島(現在旭小学校が建っている場所)に新築した洋風の2階建て校舎に移転し、この日が旭小学校の開校記念日とされています。
明治35年(1902)に南校舎1棟2教室を増設した際に榎が記念樹として植えられました。現在の総合的学習の時間の名称は「えのき学習」として位置づけられ、旭小学校のシンボル的樹木として今も生き続けています。
旭村の教育状況
1893年(明治26)郡初期復命書に、旭村の教育状況について以下のように記されています。
- 御真影及び教育勅語謄本は荘厳なる奉置所を設けて奉置されている。
- 学校の設備は昨年中の新築により、校地校舎は適当で工具も整理されており、注意が行き届いている。
- 生徒試験の成績は及第が9割で落第が1割であり、生徒の出席状況は9割である。
- 授業料を以前より低くしたため、納付義務があるために就学を避けている人はいない。
授業料を低く抑えて子どもたちの就学を保障しようとした事実など、旭地域の方々が子どもの教育を大切にしていたことや、子どもたちもしっかりと学んでいた様子がうかがわれます。
吉川市の教育大綱は「家族を 郷土を愛し 志を立て 凛として生きてゆく」です。
この教育大綱を大切に考えるなら、旭小学校の歴史をみんなで学び、少人数化が進む学校の今をどう考えるのか、大いに議論するべきではないでしょうか。
今小学校に子どもを通わせている保護者のみなさまも、そして地域の方々も、他の地域に住む人々もみんなが納得し合えるような議論が必要だと考えます。統廃合するのかどうか、結論は議論を経て出すべきものだと思います。
