第2回松伏平和フェスティバル
松伏町で開催された「平和フェスティバルin松伏2026」に参加しました。

午前の部は蛯名香葉子さんの戦争体験を描いたアニメ、「うしろの正面だあれ?」の上映でした。
仲の良い愛情にあふれた家庭にも戦争が影を落とし、本土決戦が近づく中で蛯名香葉子さんはひとり家族と離れて疎開。
蛯名さんは当時12歳。東京本所に残ったのは、お父さん・お母さん・おばあちゃん・長兄・慈恵・弟。
3月10日の東京大空襲。
家族が避難した先の小学校は施錠されていて住民は中に入れず、偶然中に入れた長兄以外5人は逃げ遅れて死んでしまいました。
戦後はどこの家も生活がとても大変で、蛯名さんに居場所はなく・・・。
映画には描かれていませんでしたが、その後再開を果たした長兄と二人で、恐らく相当厳しい人生を生きたのだと思います。
虫プロダクションのアニメがとても素晴らしく、涙なしには観れない映画でした。
展示されていた資料に興味深いものがありました。
松伏村と吉川町・旭村の寺院で東京都神田区淡路国民学校初等科の3年生から6年生の生徒を受け入れていたとの記載でした。
担当者にお話を聞くと、松伏町には記録が残されてなく、神田区淡路小学校に記録が残されていたとのこと。
3月10日はたまたま神田区の実家に帰省していた生徒も多く、その子どもたちが空襲の被害に遭ったとのこと。
また吉川・松伏に残っていた子どもたちも、当時は遮るものが何もなかったので東京が焼けている様子をはっきり見ることができたはずで、とても怖い思いをしたことだろう。
また蛯名さんと同じように、疎開している間に家族全員を失ってしまった子どももいたようだと話してくださいました。
帰宅してから『吉川市史 通史編2』を読み返してみると、確かに吉川にも淡路小学校の子どもが150人疎開していたと書いてありました。
80年以上前の戦争を、改めてリアルの感じました。
